WIPジャパンについて
■ 個人プロフィール紹介
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日 高 宏
HIDAKA Hiroshi
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静岡県沼津出身。大学にて国際政治を専攻後、会計システムコンサルティングファームに勤務したが、「世界の若者が何を考えているか」を肌で感じたいという思いから、世界中の学生が集まる英国へ留学(アングリア工科大学)。帰国後WIPジャパン設立参加。現在に至る。英語・著述・コピーライティング・日本史を愛好。
好きな言葉: 「人生に何かを期待するのではなく、人生が自分に何を期待しているのかを命がけで問わなければならない」
性格: 誠実でお人好し
■ 語録・スピーチ
(順次更新)
- 夏前のこの時期どこもバーゲンで賑わっています。先日、有楽町にある国際フォーラムで行われていたバーゲンに行きました。バーゲンで感心するのは女性のタフさです。自分の気に入った服を売り場の鏡で体に当てながら確認しています。私の場合、体に服を当てて鏡をみている姿を見られるの恥ずかしいという感覚があるのですが、女性はその点タフです。何着もの服を何度も体にあて妥協はないようです。休憩場所があるとそこに座っているのは大抵男性か子供です。皆さん新聞や本を読み、中には居眠りをしている人もいます。男性が休んでいる間も女性は、短い時間で値段、色、デザインをチェックし、選定してゲットしていきます。一年の間春夏秋冬と季節は変わります。バーゲンも季節に負けじと開かれます。女性の季節はバーゲンとともに始まるのかもしれません。
- 先週全経で訪れた国立演芸場(落語、講談、曲芸)ですが、とても新鮮でした。講談、落語では、他の雑音が入らず「聴く」という動作に集中できます。噺家が語る言葉を咀嚼して味わっていく。聴くためのいい勉強になります。また、笑いに来る場所という感覚が素晴らしい。そこにいけば笑うことができる、難しいことを考えずに笑うことができる。前も後ろも右も左も、皆大きな口をあけて笑っている。とてもいい空間だと思います。それほど娯楽がなかった時代から人々の生活に溶け込んでいた伝統文化は今も生き続けていました。
- 最近、音楽に包まれて寝ている。特に科学的な根拠はないのだが、音楽を聴きながら寝ると寝つきがよい。恐らくリラックスできるのだろう。特別なきっかけはないのだが、音楽を聴きながら寝たいという欲求がありそれに従っている。日常のストレスの解消法には人それぞれあると思うが、睡眠は非常に大事だと感じる。今はクラシックを中心に静かな曲が流れている。どの曲がいいということはなく家にあるCDが毎日演奏している。
- 新聞にブログの記事が載っていた。最近小学校でブログを取り入れるところが多くなっているらしい。児童が昼休みに集まってブログを楽しんでいるという。たとえば、校内で育てている北海道の野菜や米について、「野菜ブログ」「米ブログ」といったサイトも設けて、北海道の農業家の人に直接野菜について教えてもらっている。自分の小学校時代を振り返ると、大人といえば、両親、先生、親戚ぐらいで、自分の地区より外は遠い世界だった。今の子供は、遠くの人とも簡単にコミュニケーションをはかることができる。いいことだと思う。その反面準備のできないまま大人の世界と接することになるのかなという心配な面もあるが。ブログは自由にコミュニケーションができるツール。中には不適切な反応もでてくるにちがいない。でも大人が危険をコントロールしてあげれば、子供の世界はもっと広がるにちがいない。ブログやってみよう。
- 先週末歯を抜いたが、この週末当たり前にできることが大切だと改めて感じた。歯を抜いて痛みがあるのはしょうがないことだが、食べ物が咀嚼できないのがつらい。おかゆとかヨーグルトを流し込むぐらいで噛むことができない。それだけでなく、顔を洗うこと寝る時の向きもいつもどおりにはいかない。日ごろ当たり前にできる動作ができないのはとても不便だ。問題のない時にはそのありがたさがに気付かないものだが、ちょっとした時にその大切さが見えてくる。当たり前にできることに感謝しなければ。
- 全経での東京ガスのシニアステーション老人擬似体験は勉強になった。80歳になった自分を体験するものだが、手足の不自由さ、目の障害(白内障)、難聴といった老人になると誰もがかかる障害は大変だ。お風呂に入るのも一苦労になるし、テレビの音も聞きにくくなる。また家の中での車椅子の移動も難しくちょっとした段差なども大きな障害となる。実家の両親も70後半となり、色々な症状が出ているようだ。いつまでも若い両親のイメージで接してきたが、今回の体験でもう少し両親にとって心地よい感覚で接しなければと感じた。古い家だどバリアフリーもほとんど施されていないのでなるべくできるところから気をつけたいと思う。
- 先週土曜日、新幹線のホームで見送りしていたときのこと。50歳ぐらいの女性が、友人と別れを惜しむように新幹線の乗車口で話をしていた。発車時刻になり、電車から離れるようアナウンスが流れた。その女性は、まだ閉じた窓に手を当てて別れを惜しんでいる。すると駅員が大きな声で「離れてと言ってるじゃないですか。そんな危険なことはやめてください」とマイクから叫びその女性を睨み付けていた。女性はびっくりして後ろに跳び下がったのだが、見ている私もその駅員の反応には驚いた。
- 女性も安全の為に離れているべきだが、駅員の反応も過敏すぎる。その駅員の様子をみていて先日の福知山線の事故の影響かなと思った。あの事故からちょうど3週間。ニュースでもあまり流れなくなり、少し落ちいたかと思われたが、やはりその影響は大きいようだ。私も電車の運転士の顔をみるようになり、快速でスピードが上がると少し不安になる。事故の現場、周辺だけでなく遠いところでも事故の影響は尚続いている。改めてあの事故の深刻さを感じる。
- 連休中に葛西臨海水族館に行った。休みのこともあり、家族づれが多く混雑していたが水族館は多種な魚がいてとても勉強になる。いつも食べるだけの魚だが、世界の海に生息している魚を観察するのは楽しい気分になる。どんな魚がどんな環境で生きているのか、これを知ることは海を介在して共存していくための大切な一歩だと思う。と思いながらも、もし水槽の中の魚のように自分が展示されていたら...と想像すると複雑な気持ちになる。
- 休み中にケニアのワンガリ・マータイさんの記事を読んだ。日本の「もったいない」を環境保護の合言葉として紹介したという。小さい頃母親がよく言っていたのを思い出す。最近の自分の生活を振り返ると「もったいない」と言う言葉を発するのが少ないよような気がする。なにもかも「もったいない」といって捨てないことも弊害があると思うが、何でも簡単に手に入る社会では、バランスを保ちながらも「もったいない」という気持ちを意識する必要があるのではないか。当たり前のように聞いていた「もったいない」という言葉の意味をかみ締めたい。
- 先日バスに乗っていると、男性の老人が乗ってきた。空いている席はないかと見回すが、4人がけの席にわずかに隙間があるだけ。誰も席を譲ろうと声を掛ける者がいなかったため、老人は自分で少し詰めてくれるように頼んで席に座った。私が座っている中ごろの席では席を譲ってあげればいいのにという空気が漂っていた。いくつか停留所を過ぎ、女性の老人が乗ってきた。今度は私の直ぐ近くに立った。先ほどのこともあり、次に降りる予定だったので、「どうぞ、次でおりますので」といって一方的に席を譲った。その方「はあ」というはっきりしな返事で席に座られた。次のバス停でおりようとすると、その方も私の後からバスを降りた。席をゆずるタイミングは難しい。少し気恥ずかしさを感じながらそう思った。多分言い方がよくなかったのだろう。まず、「座られますか?」と確認してから席を譲ればよかったのかもしれない。やり慣れていないと余裕もないため気が回らない。ただ譲ればよかったと後になって悔やむよりはいいだろう。懲りずにまた恥をかこう。
- 日本で最大の蔵書を備える図書館だけあり、どっしりとした感がありました。学生の頃何回か使用したことがありましたが、その頃とは多きく変わっていました。新館も増築され、本の探索もコンピュータで全て行うなど使用し易くなっていると思います。また館内を広く使っているため、広い空間があり閉塞感がなく長く時間が過ごせる場所だと思います。調べものに適した図書館ですが、時間を見て通ってみたいと思います。
- どんな理由でお店(喫茶店)を決めますか?昨日散歩の途中で喫茶店に入りました。街中のためいくつもお店があったのですが、その店に決めました。その理由は、看板です。オレンジ色の看板でとても目立ち直ぐに目に入ります。座った席が入り口近くだったため、外をみているとその店に入るお客さんの様子がわかります。多くの人はその看板が目にはいって来ているようでした。改めてお店にとって看板の印象は大事だなと感じます。Webサイトも最初に目にはいる印象で大分違いますし、私たちがいつも使っている電話でも最初に話した感じで大分印象が変わってくると思います。最初の印象を気に掛けてみたいと思います。
- 昨日新宿御苑に行ってきました。まだ桜は二部咲きぐらいでしたが、暖かく大勢の人が訪れていました。御苑には初めて訪れたのですが、広々としたスペースが多く、休みの日にくつろぐにはとてもいい場所です。都会の中のオアシスといわれますが、その言葉がピッタリの場所です。周りで遊んでいる家族、カップル、学生といった様々な人たちをみていると時間がゆっくりと流れており、ああ平和だなという感覚を自然ともちました。こういう場所は大切にしたいと思います。
- 先日温泉に入った。温泉の効用には、肩こり、血圧、リュマチなどよく言われるが、大きな効用に精神的開放があるのではないかと思った。その日初めて会った人とも気軽に話をしている人の表情をみているとそんな風に感じる。また、横の関係だけでなくても、縦の関係でもそうだ。おじいちゃんが孫と一緒に入って昔話をするなんてことも開放的になるから話がはずむ。温泉というと誰もが特別な思いをもつのはこの効用を知っているからなのかもしれない。昔から言われる裸の付き合いは我々の良い知恵なのだ。
- 帰りの電車の中、突然女性が大きな声で一人言を始めた。驚いて彼女をみると大声で話を続けている。驚いたことにその独り言には英語が混じっていた。それも、単なる単語ではなくきちんとしたセンテンスでクリアに英語を話していた。突然大きな声をあげる人はたまに見かけることがあるが、英語を交える人は始めてだった。そんな情景をみて、東京もかなり変わったと感じる。普段の生活の風景の中に外国人(西洋、東洋)の姿は自然に溶け込んでおり、交番でも、店でも英語でやりとりをしていることもよく見かける。学生の時分にいた東京と比べると大分変わってきているようだ。英語文化の浸透もあると思うが、外国人に対しての壁がだんだんと低くなってきているのではないかと思う。国際都市東京と言われても久しい。流れはいい方向ではないかと思う。
- 岩手県水沢市。ここの成人式は気持ちが主役になっている。成人式を迎える子供たちに親が手紙を書き、子供たちは成人式の会場でその手紙を受け取る。式では、数名の親が代表で手紙を読み上げ気持ちを子供に伝える。子供は改めて親の気持ちに感じいる。十代の頃は、なにかと親子のコミュニケーションがとりにくくなる時期のように思われる。どちらにも気恥ずかしさがあるのだろう。しかし、成人式のような区切りのときに、素直な気持ちになれるのはとてもすばらしいことだと思う。最近の成人式では、素行の悪さがニュースになるが、形だけの式ではなく気持ちを主体にした方法がもっとあってもいいのではないか。そのあとの人生がまた違ったものになるかもしれない。
- 成田空港に見学に行った。空港というと飛行機の乗り降りに使うため、あまり周りの様子が見えないことが多い。いかにうまく飛行機に乗るかを心配しているからだろう。今回は発着ロビーで様々な人の様子をみることができた。団体でこれから海外にいく年配の方々。明るい笑顔がとぎれない。一人待合室に座っている若い青年。一人で留学にでもいくのか、落ち着かない様子。何度も荷物とチケットを確かめている。親子の様子も興味深い。母と娘。娘が海外に初めていくのだろう、母親がコンコンと話をしている。娘は面倒くさそうな顔をしながら、それでも不安なのだろう、母親の話には耳を傾ける。第3者として眺めていると様々な表情がみてとれる。出発と別れ。誰もがそれぞれの人生の一瞬を確実に生きている。空港は新鮮な気持ちにさせてくれた。
- いよいよ今週水曜日にワールドカップ最終予選の北朝鮮戦が行われる。先日の中国戦の試合では、中国の一部のサポータによる騒動があった。ヨーロッパ、南米のサッカーの試合ではそんな騒動は当たり前のように起きているらしい。それに対して今回の北朝鮮戦は日本人の姿勢をみてもらういい機会になるかもしれない。政治的に緊張関係にある国との試合で勝っても負けても、応援する人たちが節度ある応援・姿勢をあらわすことができれば、いろいろな面でいい影響を与えことができるのではないだろうか。そのために節度ある姿勢を作り出す雰囲気が重要なはず。競技場で応援しているサポータだけでなく、テレビで応援する私たち全体がそれを作り出す必要がある。今度の北朝鮮戦はそんなことも意識して見てみたい。
- 百貨店で、お客の足にあった靴を提供する靴屋を見つけた。客の足の型をとってそれにあわせ靴をみつけてくるというもの。足の裏のどこに体重がかかっているか、歩行バランスはいいか、足のサイズ、特徴などをカルテとして作成してくれる。私の足は、硬めのためやわらかめの靴の方がいいようだ。今まであまり靴については、サイズくらいで気を使わなかったが、履いている時間が長い靴にもう少し気を使ってみようと思う。
- 昨日で千秋楽が終わった。今場所はモンゴル力士の活躍が目立った。どこかのスポーツニュースで国技ながらがんばれニッポンと言っていたが、外国人力士が活躍できる環境になってきたことは良いことだと思う。最近ではヨーロッパからきている力士も増え窓口も広がってきている。こうして窓口を広げながら、世界の人々にもっと相撲を日本を知ってもらえれるようになればと思う。もちろん多様性になりつつも相撲にある日本的なものは残していってもらいたいが。
- 地震災害のシュミレーションをテレビでやっていた。東京に直下型地震がおきたケースを見ていて改めてその被害について考えさせられた。シュミレーションでは、東海地震、東南海地震、南海地震が同時におきた場合も想定され、私の出身地・沼津も10mの津波にさらされるという。いままで考えたこともなく唖然とした。中越地震、スマトラ地震と災害が続き、人々の関心が高くなっている。今日も阪神大震災が10年目を迎え、朝からニュースが流れている。決して対岸の火事でなく、どう行動すればよいか普段から考えなければと思う。
- 東京駅内を歩いていると、街でよく目にする10分でできる床屋料金(1000円)があった。ちょうど髪をきりたいと思っていたところだったためそこを利用した。ああこれがしたいなと思った時にそこにそのサービスがあるのは、サービスを受ける側にとってはとても気持ちがいい。その一角では、床屋、マッサージ(てもみん)、チケットぴあコーナー、写真店といった各種のサービスが提供されている。電車を待つ間の時間を有効に使いましょうということだろう。日常の生活の中、小さいことでも時間を取らなければいけないものが、時間の隙間にできるのはとてもありがたい。急いでいる人が行き来する駅にこういったサービスがあるのはとても便利だと感じた。
- 伝統文化を通して子供たちに躾を教える試みをしているというニュースを見た。文化科学省主導で着付けや生け花の団体に協力を得て、小学校や公民館でそれぞれの作法を伝えながら躾を教えているようだ。中には、はさみの渡し方、箸の持ち方まで教えることもあり、子供たちは楽しみながら伝統文化に触れ躾を学んでいく。大人になると特別な時間をとらなければ伝統文化に触れる機会はあまりないと思う。伝統文化の基本から人とのかかわりを学ばせる、いいきっかけを与えているのではないかと思う。
- 最近目にした雑誌のコラムに「贈り物の哲学」というものがあった。ココロを形にする、それが贈り物。贈り物の達人とは、ココロの温度が高い人をいい、心の温度を高くするには、日々の暮らしの中で感性を豊かにすることが必要と書いてあった。何かをみたら、これを贈ってあげたいなとか、これ似合いそうだなとか気にかけること、それが大切なようだ。改めて自分が今までに贈られてうれしいものは何だろうと考えてみると、それは友人からの葉書とかカードだと思う。それも日ごろ会えない友人からの便りである。その友人の名前をみただけで、その頃のことが一瞬によみがえり葉書に重みがでてくる。これからクリスマス、正月がやってくる。ココロを形にするつもりで書いてみよう。
- 少前にローマについての番組を見た。その中でジュリアス・シーザーの言葉がいくつか紹介され、特に感心した言葉が次の言葉である。「人は、全てを見ることはできない。人は自分の見たい側からしか物を見ない。自分の思いたいことしか思わない」。なるほど。この言葉を聴いて2つのことを感じた。1つは、自分が相手に説明し、分かってもらったと思っても、相手はこちらの意図したことを完全に理解していなかったことがよくあること。やはり相手の立場に立って考えてみなければなかなか全ては伝わらない。特にクライアントとの話では大切な点ではないか。もう一つは、2000年以上も前に語られた言葉が、現代でも共感がもたれること。年月に関係なく言葉は不思議な力をもっている。確かに言葉は人の思いを人の心に伝えている、時の長さは関係ないようだ。s
- 熊が出没する、というニュースをよく聞く。新聞にあった記事だが、この熊騒動、里山が関係あるらしい。少し前までは、里山(人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林)があり、野生動物と人間生活との緩衝地帯になっていたという。動物は木の実などを取るために、人間は、山菜や燃料とするための落ち葉を拾うために利用していた。それが開発で里山が減少し、野生動物と人間生活区が直接対面するようになってしまった。そのため、野生動物がおりてくるようになったという。今回の熊騒動は、今年の暑さや台風のも関係しているのかもしれないが、お互いに必要な存在である動物と人間。バランスのとれた生態環境を作ることはできないだろうか。
- 先日東京の丸ビルで天ぷらを食べた。偶然入った店だったが、その天ぷらのおいしさに驚いた。揚げたての天ぷらをその都度席にもってきてくれる。最初は、魚類。いい色に揚げられている。えびを口にいれると、サクッ、サクサクサク。一口目の感触がよい。次の野菜もほどよく揚げられており、ピーマンの苦さが甘みに変わっていく。天ぷらは衣のかき混ぜ方と揚げる温度が難しいという。家庭でもよく作られる料理だが、やはりプロが揚げると違うようだ。お客に"違う”と思わせる腕はさすがである。私たちの翻訳も「さすが違う」と言ってもらえるように、良いサービスを提供したいと思う。銀座にも店を出しているというこの店は客でいっぱいだ。
- 今年の夏を振り返ってみると自然の厳しさを感じさせられる。最高39度にもなった猛暑、各地でおこる集中豪雨と水の被害。自然の災害はいつ自分に降り掛かってもおかしくないと改めて思う。人間がつくったものをいとも簡単に破壊してしまう自然の前では人間は無力であることを痛感させられるが、せめて被害を最小にすることはできるかもしれない。自然に影響を与えていると言われる環境問題への意識もその一つである。私たち自身が環境問題に対して意識を持ち少しずつできることをすることで、自分たちの被害を抑えることができるのではないかと思う。環境問題への意識が低い自分への反省の夏だった。
- 夏の高校野球が終わった。優勝したのは北海道代表の駒大苫小牧。高校野球が始まって以来始めての北海道勢の優勝である。とても嬉しい。私の家では、高校野球の応援に順番がある。一番が静岡県代表、2番目が母親の出身である栃木県代表、そして3番目が東北・北海道代表である。寒い地域からの代表。不利な環境を乗り越えてがんばれ。ちょっとした判官(ホウガン)びいきが働く。今回は寒い雪の中で工夫しながらの練習がやっと実をむすんだようだ。しかし彼らの努力だけでなく、豊かで技術の発達した時代にようやく平等なスポーツ環境がどこでも整ってきたようである。オリンピックで活躍する選手も全国からでている。駒大苫小牧の優勝はその象徴のようにも思える。みんな平等に与えられるのはいいことだ。でも今度はどこを判官びいきの対象にしよう?
- 昨日千葉県の銚子を旅する番組をみた。その中で醤(ひしお)という発行調味料を紹介していた。醤は1000年以上前、平安の時代から使われていたという。平安時代の宮中料理の解説書である「類聚雑要抄」の献立の中にもでてきている。番組の中の職人の言葉が印象的だった。「時代を超えて醤は作り続けれてきた。だから自分たちも手作りでその伝統作り続けたい」。大量生産でものをつくるのもよいが、人の手が入ったものは歴史を作っていく。翻訳も手作りの製品だ。翻訳者の方達がいいものを作り続けていけるような環境を提供し、協力できればと思う。
- 先日脳ドックの結果を聞きに行った。検査結果に問題はなかったが、脳の断面図を説明してもらった。人間のつくりに不思議さを感じた。衝撃を防ぐためにプカプカ水に浮いている大脳、脳の手前でループ状で結ばれている2つの動脈(片方の動脈が詰まっても、残りの動脈で脳に血液がいくようになている)。複雑な構成が人工ではなく自然につくられている。養老猛さんの「死の壁」だったと思うが、「人あるいは生き物を無用に殺してはいけない理由の一つに、これほど精密に作られている組織を一度壊したら、元通りにつくることはできない」とあった。自分の脳の構成を見て、なるほどと思う。森や海、緑に触れ自然はいいなと感じるが、実は自分も自然につくられた自然の一部だった。たまに体を観察すると考えさせられる。
- 毎日新聞のwebサイトで投票アンケートというコーナがある。そこで、「なくして困るものは?」という質問があった。回答は財布41%、携帯6%、良心51%、その他。自分が選択をするとどうだろう。やはり良心を選ぶような気もするが、普段良心についてあまり意識していないと改めて感じた。人に手を差し伸べるとき、周りを気にして躊躇していないか。日常の中で良心を少し意識するだけで行動も少し違くなるような気がする。自分の良心を少し気にしてみよう。
- 送られてくるチラシに途切れがない。毎日マンションのポストにはたくさんのチラシが入ってくる。送られてくる方も慣れたもので大きなゴミ箱がポストのすぐそばに置いてあり、そこにほとんどのチラシが捨てられている。大阪のマンションでも同じ状態であった。チラシを捨てるたびにもったいないと思う。経済活動の一種といえばそうであるが、やはりすぐに捨てられるチラシは無駄なものに思える。いろいろな意味で環境にも悪いだろう。一軒屋には新聞のチラシぐらいで多くはこない。やはりマンションだから入れやすいのか。受け取る側は、チラシをなくす為にどんなことができるのだろう?
- 先日久しぶりに新宿に行った。10年ぶりである。相変わらず人が多く、騒がしい街であったが、昔と比べてどことなく居辛い感じがした。普通人が集まると街に活気が出てくるが、今の新宿の騒がしさはそれではなかった。活気はどこか余裕がないと生まれてこない。余裕のない騒がしさは、単なる喧騒でしかないだろう。私たちの生活もただ忙しいだけでは、何も生まれてこない。余裕をもってこそ活気ある時間をつくりだせる。忙しくバタバタしているときに、一呼吸。そこから活気が生まれてくる。
- 先日朝青龍の連勝が36戦目にしてとまった。その36戦連勝の記録を持つ双葉山は、冷静沈着な大横綱として有名だったという。何事にも動じない「木鶏(もっけい)」を信条にしていた。その双葉山も37戦目にして立会いの呼吸をあわせない相手に腹を立て冷静さをうしなっての黒星。熱すぎても、冷めすぎても勝つことができない勝負の難しさである。私たち生活にも、予期せぬことが常に起こる。それに動じずに完全に対処することは困難であるが、プラスに転じていけることができればと思う。起きた事を客観的にみること、その姿勢を日ごろから育めればと思う。
- 先日、懐かしさを感じさせる光景に出会った。場所は、お好み焼き屋。父親と息子二人がお好み焼きを食べにきていた。二人は黙々とお好み焼きを食べている。特に交わす言葉も一言二言ぐらいしか聞こえてこない。しかし、二人はコミュニケーションがとれているようだ。注文したお好み焼きは3つ。父と子が1つずつ食べ、3つ目は子供。それを見守る父親。言葉がなくともコミュニケーションが成り立っている。そこには安心と信頼が築かれているように思える。そんな二人の姿に懐かしさを覚えた。言葉から始まり言葉を超えたコミュニケーション。私たちも日常のコミュニケーションを安心と信頼を基盤したものへと高めていければと思う。
- 大阪にきて7年が経った。振り返ってみると、いつも「対話」があった気がする。仕事ではクライアントや訳者、また社内でのメールのやり取りによる「対話」。7年のうちに家族も増え、「対話」も増えた。これからもいろいろな形でずっと「対話」は続くはず。人にうまく伝えられるコツをみつけ、「対話」の技術を身につけていきたいと思う。
- 一週間を振り返っても印象に残っていることはあまりないが、一年前、十年前のことでも意外と覚えていることは多い。ここには「イメージ」ということが関係しているのではないだろうか。クライアントとの会話でも、論理的で分かりやすい話し方、やさしい声の印象などイメージとして捉えられたものは、表情が見えなくても心に残る。表情がつかめない電話での会話だからこそ、イメージとして残る話し方を心掛けたい。
- 大好物の中から相手の食わず嫌いの一品を当てる番組を観た。さて、自分がそのクイズに参加していたら、どんな料理を並べるだろうか。考えてみると、食べ物の好みは年とともに変化している。年をとるごとに感じる体の変化。自分の体調は自分で考えながら、常にベストコンディションをつくっていきたい。
- 「品」という言葉について。横綱朝青龍の最近の相撲には品がでてきた気がする。今までは、負けた相手に自分の力を見せつけるような勝ち誇った態度を見せていたが、最近では負けた相手が土俵から落ちないように手を差し伸べるなど、そこには横綱としての「品」が見られる。このような落ち着いた態度は、見る者に安心感を与える。普段の仕事にも、このような落ち着いた態度で臨みたい。「品」の定義づけは人それぞれ違うが、皆さんにとって「品がある」とはどういうものだろう?
- トヨタ販売店に行く機会があった。他社のエンジンオイルの交換を快く行い、また車を買わないお客にも丁寧に対応するなどそのサービスは素晴らしかった。細かい対応に、この人なら安心して任せられるという気持ちになる。1行だけ翻訳して欲しいといった細かい依頼があったとき、できる限りの対応することで、将来長く付き合える顧客に出会えるのではないかと感じた。
- クリスマスの楽しみは年を経るごとに変化している。最近はこの時期に届くクリスマスカードが何よりの楽しみ。中には10年来の友人からのカードが届いたりと、当時の思い出がよみがえってくる。取り立てて多くのことを書いているわけではないが、字を見ると温かい気持ちになる。返事を出さなければ、これっきりもう2度と会えないのではないかという思いから、返事は書くようにしている。縁があってできた信頼関係。この縁を大切にしたい。
- 中之島のイルミネーションを見に行った。街路樹が豆電球で彩られとても美しかった。一つ一つの光は小さいが、それがまとまると大きな力となる。会社での役割も、それと同じなのではないだろうか。この時期、厳しい寒さを乗り切る智恵としてイルミネーションはいいアイデアだ。
- 自然の美しさについて。朝の街を輝かせる「朝焼け」、雲の色が変わっていく様が美しい「夕焼け」、真ん中の三ツ星がとても美しく光る「オリオン座」、明るい輝きを放つ「月」。ふとした瞬間に自然に向き合うと、自然はいつもあるがままの姿を見せてくれる。うつむきながらでは、身近にある美しさに気付くことはできない。あらためて美しさに感動した。
- ある老人が横断歩道を渡ろうとしていたが歩く速度があまりに遅く、真ん中まで渡ったところで信号が赤になってしまった。一緒にいた山添さんがさっと老人に駆け寄り、無事最後まで渡れるよう助けている様子は自分のみならず、周りで見ていた人にもとてもいい影響を与える光景だと感じた。思ってもなかなか実行できないこのような行為を見習いたい。
- フランス系スーパーのカルフールでは、エスカレータはスロープ、店員はローラースケートを履いて店内をすばやく移動し、客の応対も大変すばやい。レジは日本ではめずらしいベルト式で効率もよい。このように外国のスーパーが進出し、消費者にとって選択肢が増えることはいいこと。翻訳でも多様な選択肢を提供できるようにしたい。
- ノーベル賞を受賞した田中さんに、1年たった現在の心境を聞くインタビューがあった。田中さんにとってノーベル賞の意義とは?という質問に、「全国に何十万といる研究者に自信を与えられたこと」と答えた田中さん。すぐに成果の出る仕事ではないが、彼の姿に、自身の日々のサービスの在り方を考えさせられた。やはりこつこつと努力することで、次の案件につながっていくのではないだろうか。
- 先週末、実家に帰った際に、伊豆(下田)から堂ヶ島、南伊豆へとドライブした。以前にも来たことはあったが、点在する島々をはじめ、遠くの海面に陽光がきらめく様に、今回深い感銘を受けた。年齢を重ねるにしたがって、こうした自然の有様に心を動かされることが多くなってきたように思う。自然に対する親しみの気持ちが深まった結果かもしれない。大阪に戻ると、マンションのゴミ出しルールが変わっていた。以前よりも、分別方法が細かくなっていたのだが、自然を大切にしたいとの思いを実地に移していきたい。
- 一度面識のある方との取引は、ない場合に比べてスムーズにいくことが多い。ある協力会社に見積りを依頼したところ、担当者の方とは一度会って話したこともあるため、なにかと相談もしやすく、いろいろな情報を得ることができる。一緒に仕事をする相手として、親密で広がりを持てるような関係を今後も築いていきたい。
- 真夏のせみの声。マンションの12階に住んでいるにも関わらず、一匹のせみがベランダに迷い込んできた。せみは長い間地中にいて、7日間だけの短い命を地上で過ごして死んでいくという。このせみを見て何か運命的なものを感じた。これからの暑い夏を頑張って過ごしていきたい。
- 久しぶりにカレーを作った。以前アルバイトをしていた弁当屋で出されたまかない料理のカレーが非常においしく、その作り方を実践してみた次第。が、なかなかその味に近づけることができない。職人の“勘”が必要なのだろうか。どんな職業においても教えられたこと以外での創意工夫、そして経験を通じて培われる“勘”を養っていくことが重要なのだろう。父について。大学生の時に父から言われた言葉に「自分の身は自分で守れ」というものがある。暴力には縁のない父の口から出た言葉だ。おそらく戦後の苦しい体験から生まれてきた言葉だと想像する。自分を信頼していないと実践できないこと。「自分の身を自分で守る」ような土壇場の場面に遭遇しないようにすべきなのだという教訓にも取れる。時々父のこの力強い言葉を思い出す。
- 箕面山に出かけた。サルで有名なこの山だが、あまりに人間に慣れすぎたサルを自然に帰そうという運動があるときいたが、まだまだ野性味の残るその姿に驚いた。我々は日常生活でなかなか自然を感じることができない。山の緑を見ることは気分転換にすばらしい。
- 朝5時30分にWebに掲載される翻訳原稿を10時に納品するというアージェント案件を担当した。納品までの時間が短く、チェック時間もそれほど取れないことを踏まえて、過去の資料の確認と訳者との打合せを事前にできたことでクライアントにも良い評価をいただけた。良い訳者の方に担当いただけたこともあるが、この経験をこれからの案件にも活かしていきたい。
- 「母親」について。38歳で私を生んでくれた母。結婚式場の介添えの仕事を25年間続けた。常に与えられた人生を必死に頑張って生きている姿が印象に残っている。戦前・戦後の日本を生き、「歯を食いしばって」を口癖に、与えられた環境の中で人生を生ききっていく姿を見せてくれたことにとても感謝している。これからも楽しい人生を送ってもらえるよう、「離れていても心の距離は近いんだ」ということを感じてもらえるよう、親孝行していきたい。
- 先日緑地公園を訪れ、予想外に楽しめたことがある。公園内の数箇所で、年配の人たちがカラオケのボリュームを上げて踊りながら歌っており、周囲に人だかりができていた。音楽、カラオケというと若い人たちの楽しみと言うイメージがあったので意外だったが、楽しい時間を工夫して作っていることに感心した。その後植物園を一回りしたが、熱帯から南極まで、様々な植物がVTRの映像や解説とともに展示されており、楽しめた。子供の頃、遠足などで植物園に来たときは余り興味を感じなかったが、改めて植物園の良さを感じる。
- 印象に残る話し方として、「ポイントを3つ挙げる」ということがある。ポイントが2つだと聞き手がどちらが重要なのか迷ってしまい、4つだと難しく聞こえるので、3つがちょうどいい数だ。例えば、「礼儀の基本は3つあり、一つは姿勢をキチンとすること、二つ目は変な表情をしないこと、三つ目は言葉遣いを丁寧にすること」という風に説明する。3つポイントが出ないときには2つのポイントのうち、どちらかに少し付け加えて3つにするといい。クライアントや訳者に説明をするとき、このようにポイントを押さえて話すようにしたい。
- 先月の案件で心に残ったのは、中国重慶の案内文の英文和訳。重慶というのは「二重の慶び」という意味である。なじみの薄い町だったが、実は中国最大の面積・人口を誇る町。3000万人もの人が住んでいる。そのうち80%の人が農業に従事しており、中国の農業に大きな役割を果たしている。第二次世界大戦中、南京が占領された際、一時的に首都になった。仕事を通じて世界を学べることに改めて感謝したい。
- フルーツが体に良いというので、最近バナナを食べるようにしている。以前、バナナは黄色いまま3週間くらい長持ちしたが、最近のバナナは傷みやすくなった。これは90年代に使われていた殺菌剤に発ガン性があるということでほとんど使われなくなった為。シェアの大きいフィリピンバナナ、おいしさの台湾バナナ、安さのエクアドルバナナなど輸入バナナにもそれぞれ特色がある。室温13度位のところに放置して皮と身がバランスよく色が変わるのが安心して食べられるバナナ。私達の身の周りでもちょっとした面白い発見や勉強になることはたくさんある。
- 英語から多言語への翻訳案件で先般勉強になった点が2つあった。一つ目は、仕事の配分の確認。二つ目は、充分なチェック時間の確保。今後、さらに多言語翻訳案件がスムーズに流れるようにしていきたい。
- TVで中高年男性の意識変化に関する特集を見た。最近公開されている時代劇映画の動員数に、中高年男性の占める割合が高いらしい。また紅白歌合戦の視聴率が下がったのは中高年男性の視聴率が下がったからとも言われている。今までの企業のマーケティング戦略は「F1」と呼ばれ、20代後半から30代前半の女性中心だったが、最近は中高年男性を狙ったものが増えてきている。今まで仕事中心だった男性達が、自分達の生活や文化に目を向け始めているから。私自身も生活や文化を楽しむ意識を忘れないようにしたい。
- 書初めをした。書いた言葉は「温故知新」。論語の「故きを温ねて新しきを知ればもって士たるべし」で、古いものを学び、新しい事を知ることができる人は指導者になることができるという意味である。この言葉どおり、私も去年までの仕事の経験を踏まえ、今年は新しいことを発見していきたい。
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